あなたたちに似ようとしたのは、人恋しくてたまらなかったから


■一匹いたら三○匹いると思え


※登場人物の説明等が一切ありませんので、読んでいて意味が分からなくなると思われます。
 でもまあ気にすんな。流せ。




「……修学旅行?」
「うん、考えてみたらさ、もうすぐじゃない?」
 昼休み。食事を終えて、自分の席でまったりとした時間を過ごしていた僕に初月が話しかけてきた。
 その話題というのがこれ。すなわち学園生活最大のイベントのひとつ、修学旅行だ。
 うちの学園の修学旅行は、二年生の三学期に行われるのが通例となっている。
 なんでも三年になってからは受験勉強に集中した方が良いからとか、なんとか。
 大きなお世話だと思わなくもないけれど、まあ、そんなことはどうでもいい。
「どこ行くんだっけ?」
「アンタね。こないだ篠崎がホームルームで話してたの、聞いてなかったの?」
 ……いや、聞いてはいたと思う。ただ、入力された情報が全て、脳味噌を素通りして出ていってしまっただけで。
 つうか、あの担任教師の話は長すぎる。そして脱線しすぎる。とどめにつまらなさすぎる。
 だからといってどうでも良いと思って聞き流していると、今回みたいに重要な部分を聞き逃してしまうことになるのだけれど。
「北海道よ、北海道。この時期の北海道ったらカニにスキーにカニに夜景にカニ。ねえもう、素敵すぎるってばよ?」
「……旅行の目的の50%はカニなのか」
 そんな僕のツッコミなんて屁のカッパ。
 初月は興奮した口調でさらにまくし立てる。
「この話初めて聞いたとき、心からこの学園に転入してきて良かったって思ったわよ、マジで。
 前の学園の修学旅行なんて奈良京都よ? 仏像やら神社やら見て何が楽しいんだっつうの。
 坊さんとかいて辛気くさいしさ。そう思わない?」
「罰当たりにもほどがあると思うけど、まあいいや、別に」
 天罰食らうのは僕じゃないし。
 ……いや、待てよ。この学園でこいつと一緒にいる時間が一番長いのは、僕と初雪だ。
 つまり、こいつがふざけたことをほざいて天罰を食らう羽目になったとして、
 巻き添えを食らう可能性が一番高いのも僕らということになる。
「……それは困るな」
「は?」
「おい、初月」
 呼びかけながら僕は立ち上がり、そして彼女の両肩をがしっと掴む。
「な、な、なによアンタ、急にどうしたのよ?」
 うろたえる彼女の表情は見物ではあるけど、今はそんなことを考えてる場合じゃない。
 はなはだ非科学的な考えかもしれないが、天罰の巻き添えは避けたいんだ。
「……悔い改めよ」
「はあ?」
「……悔い改めるんだ初月! 天罰が下る前にっ! さあ、その邪悪な魂を清めるんだ!」
「な・に・を、わけのわかんないことをほざくかぁ!」
 みしり、と音を立てて。
 世界が暗転していった。

「……痛い」
「そりゃまあ、そうだろうな」
「……とても痛い」
「うんうん、分かるよ」
「……泣きたくなるくらいに痛い」
「そうだろう、そうだろう。泣きたいときには泣けばいい。
 男だからって、涙を堪えなきゃならない法はないんだぞ!」
「……ねえ、圭二」
「ん?」
 一呼吸置いて、言う。
「お前、楽しんでるだろ」
「もちろん!」
 すげえ良い笑顔でそう答える友人の……三好圭二(サムズアップ付き)の姿に、僕はため息をつく。
 その拍子に初月に殴られた頬がまた痛んで、僕の憂鬱を加速させた。
「それにしてもさ、殴ることはないと思うんだけど。……ささやかな冗談だってのに」
「……お姉ちゃん、変なところで真面目だから……」
 愚痴りながら頬をさする僕の様子を心配そうに見つめながら、初雪は苦笑する。
「ていうかさ、お前の冗談ってつまらなさすぎるんだよ。聞いてて殺意覚える時とかあるし」
「……悪かったな」
 結局あの後、初月は「わたし不機嫌ですよ」と書かれたカンバンを持つのと同程度の、
 あからさまにむっつりとした表情を浮かべて立ち去り、
 そして、入れ替わりに教室に戻ってきた圭二にさんざん笑われて放課後の今に至る。
「で、その初月ちゃんはどしたよ? やっぱまだ怒ってんの?」
 初雪に向かって圭二が訊ねる。
 人見知りが激しいらしい初雪も、最近は圭二の軽い性格に慣れてきたのか、
 特に気負うでもなく会話をこなせるようになっていた。良きかな良きかな。
 ……って、なんだか父親みたいだな、僕。
「……そうみたいです。今日もなんか、独りで先に帰っちゃったし」
「さあどうするよ孝宏? 犬も喰わない夫婦喧嘩のケリ、どーやってつける?」
「別に喧嘩したワケじゃないし。ていうか夫婦ってなんだよ」
「あ、そっか。三親等以内の結婚は駄目なんだっけ?」
「……そういう問題でもない」
「それにしても初月ちゃんじゃないけどさ、やっぱ修学旅行は楽しみだよな〜」
「話を逸らすなって。良いかおい、なんか素敵な勘違いをしてらっしゃる圭二君に申し上げるけどね……」
「初雪ちゃん、なんか欲しいお土産とかある?
 俺、初雪ちゃんのためだったらツキノワグマだって連れて帰ってくるよ。いやマジで」
「聞けってオイ!」
「そ、そんな……熊さんなんてウチじゃ飼えませんし……」
「うーん、そうだなぁ。それじゃあ……」
「……聞いてよ、ねえ、頼むからさ……」
 涙ながらに訴えはしたけれど、その懇願が受け入れられることは無くて。
 結局いつもの交差点で別れるまで、僕は圭二に無視されっぱなしだった。

「あの……」
「ん?」
 ここからしばらくは、初雪とふたりきりの帰り道だ。
 こういう状況になると……なんとなく気恥ずかしい。
 彼女が兄さんの許嫁として我が家にやってきてから約二週間、僕の生活は一変したと思う。
 最初はどうにも苦手な存在だった。
 当たり前だ。自分より年下の義姉なんて、どう考えたっておかしいし。
 それに両親が交通事故で他界して以来、兄さんと男二人で生活してきた僕にとって、
 女の子と一緒に暮らすことなんて、戸惑いの連続以外の何者でもなかった。
 ……なかったのだけれど。
 でも、家事なんて何も出来ない彼女に、玉子の割り方から洗濯物の乾し方まで、ありとあらゆることを教えているうちに、いつのまにか僕は彼女を受け入れていた。
 姉として見ることは出来ないけれど、大切な人間のひとりとして想うことは出来る。
 それはもしかしたら、僕が彼女に恋愛感情を持ってしまったかも知れないということで、
 下手をしたら残された最後の家族である兄さんを失う原因になるかもしれない想いだ。
 それでもやっぱり彼女を嫌うことなんて出来ないし、そうしたいとも思わないから。
 だから僕は、こうして二人きりになるたびに、なんとなく気構えてしまうことになる……。
「……あ、あの?」
「うん。聞こえてる」
 小動物じみた仕草でこちらを見上げる初雪に、僕は出来るだけ優しげな声を作って応えた。
「修学旅行、なんだよね」
「そうだね」
「……二人とも、行っちゃうんだよね……」
「そうだね……って、え?」
「だから、修学旅行」
 ……しまった。なんでこんな大事なことに気づかなかったんだろう?
 そうなんだ。
 僕と初月が旅行に行ってしまったら、初雪は独りぼっちで残されることになるじゃないか。
 兄さんさえ帰ってきてくれればそんな羽目にならなくてすむのだけど、
 あいにく、そう都合良く物事が進むとは思えない。
 つうか、出張先のイエメンからここまで戻ってくるだけで、僕らが修学旅行から戻ってくるのよりも長い時間がかかりそうだ。
 いや、イエメンがどこにあるのかも知らないんだけど、実は。
 でもなんとなく遠そうだし。きっとアフリカ大陸の奥地とかに違いない。そういう語感だ。
「……どうしよう」
「あ、でもわたし、大丈夫だから!
 孝宏くんが教えてくれたから、お料理もお洗濯も出来るようになったし、
 それにちゃんと戸締まりもするから。だから、別に一人でも……」
 慌ててそんな事を言い募る初雪。でも、その言葉は嘘だ。
 今までの短い共同生活で、彼女がとんでもない寂しがりやだってことには気づいていた。
 家では大抵僕の側にべったりだし、学校に行っても休み時間ごとに僕らに会いに教室へとやってくる。
 帰るのだって僕か初月が一緒じゃないと不安でしょうがないって感じだし。
 そんな初雪が、四日間もの間一人で生活するなんて、まず間違いなく無理だ。
「……どうしよう」
「……大丈夫だって……ほんとだってぇ……」
 悩みこむ僕と、必死に食い下がる初雪。
 そんな噛み合わないやりとりは、ふたりが家に帰り着くまで続いた。


「と、いうわけだ」
「……いや、というわけとか言われても」
 夕食後の居間。
 台所で初雪が食事の後かたづけをしている音を聞きながら、
 僕と初月は向かい合い、修学旅行の件について話し合っていた。
「正直どう思う? 姉としては」
「まあ、もう子供じゃないんだし、ねえ」
「……いや、子供じゃなくてもマズいだろ」
「そうかなぁ。たった四日間だし大丈夫だと思うけど……?」
 湯呑みに注がれたお茶をずずっとすすり、初月は息をつく。
 そんなお気楽な態度に、僕は内心苛つきながら言葉を続けた。
「たった四日間って言うけどさ、その間、独りぼっちなんだよ?
 年頃の女の子がそういう状況に置かれるってのは、やっぱりどうかと思う」
「……アンタ結構古臭い考え方してんのね。江戸末期くらい? 黒船来航した?」
「うるさいな」
「ふぅ」
 初月は器用にも鼻でため息をついてみせた。
 ……なんだ、その「この親馬鹿め」とでも言いたそうな目は。
 言っとくけど、実際の所はあっちが義姉で、僕は弟っていう立場なんだからな。
「じゃあさ、アンタとしてはどうしたいわけ?」
「どうしたいって……」
「まさかアンタ、『姉ちゃまと離れるの嫌だから修学旅行行かな〜い』なんてほざかないわよね?」
「だ、誰がそんなこと言うかっ!」
「そうよねえ。いくらなんでも、ねえ」
 ……そう言いながらも、僕を見てにたにたと嘲笑うのは何故だ。
 このアマ、絶対僕のことシスコンだのロリコンだのと思ってやがる。間違いない。
 いや、まあ、離れたくないって気持ちは確かにあるけれど。
 でも、それとこれとは話が別であって、今は僕の気持ちうんぬんじゃなくて、初雪の話をしていて……。
 なんだか言い訳臭くなってきた自分の思考を振り切って、僕はもう一度落ち着いて考えてみることにした。
 ……確かに初月の言い分にも一理ある。どうしようもない事なんだろう、きっと。
 誰かに預けるにしても近所づきあいの少ない僕らにそういう相手はいないし。
 もし兄さんが帰ってきて、自宅に誰もいなかったら戸惑うだろうし。
 となると、やっぱり初雪の自主性に任せるしかないのかも知れない。
「仕方ないか」
「仕方ないわよ」
 と、話し合いが一応の決着を迎えるとともに、ちょうど良いタイミングで初雪が居間に戻ってきた。
「お片づけ終わりましたー」
 エプロンを外しながら、初雪は僕の隣にちょこんと腰掛ける。
「……なんかお話してたの? ふたりとも珍しく真面目な顔してるけど」
 珍しくは余計だと思う。僕は年中ハードボイルドフェイスだ。渋いぜ? ……いや、嘘だが。
「ああ、うん、まあ」
「……ねえ、初雪」
 なんとなく言葉を濁す僕の方を、一瞬ちらりとにらみつけて、初月は初雪に話しかけた。
「はい? なに、お姉ちゃん」
「修学旅行のことなんだけさ……」
「それなら大丈夫だってば! わたしだってもう子供じゃないんだから、お留守番くらい一人で出来るよ」
「……信じて良いのかな?」
「ああ、孝宏くんまで! 二人ともそんなにわたしのことが信用出来ないのっ!?」
「そうじゃないけど……なあ」
 なんだか必死の形相で自分をアピールする初雪に気圧されて、たまらず初月に助けを求める。
「いや、あたしは一応大丈夫だと思うけど……?」
 が、やっぱり敵は敵でしかないわけで。
「大丈夫です! 城宮家の留守は、わたしがちゃぁんと守ってみせますっっ!!」
 その自信満々っぷりが怖いんだよなぁ……。
 なんてことを言える雰囲気ではなかったので、とりあえず僕はお茶を啜って場を濁すのだった。




 そして修学旅行当日。
 いつもより少し早い時間に家を出る僕らを、初雪は玄関まで見送りに来てくれた。
「……じゃあさ、行ってくるけど」
「うん。楽しんできてね?」
 そう言って、初雪はにこっと笑った。
 ああ、なんて健気なんだ……!
 たまらず僕は初雪の手を取ってぎゅっと握りしめながら、
「良いか、帰ったらまず手を洗ってうがいをするんだ。生水は飲むなよ? ガスの元栓はしっかり締めること。火を使ってるときはコンロから絶対に離れちゃ駄目だ」
「え、は、はい……」
「夜寝る前にはちゃんと歯磨きをして、戸締まりは最低でも三回は確認してくれ。それと夜更かしはしないこと。知らない人が来てもすぐにドアを開けないで、まずはチェーンロックをかけたままで」
「……ああもう、うっとーしいっ!」
 ごりっ、と素敵な感触が後頭部を襲う。次いで、のたうち回りたくなるくらいの激痛。
「……とても痛い」
「当たり前よ。殴ったんだから」
 振り返ると、初月が呆れた表情を浮かべてこちらを睨んでいた。
「ほら、いつまでもいちゃいちゃしてんじゃないっての。さっさと行くわよ?」
「……いちゃいちゃってお前なあ……」
 あまりにもストレートな物言いに、顔に血が上るのを感じる。
 ふと見やれば、初雪も同じように頬を紅く染めて立ち尽くしていた。
 やっぱり、気恥ずかしい。
「だからいちゃいちゃしてんなって言ってるでしょうがっ! 早く行かないと遅刻するじゃない!」
「……はいはい。分かりましたよ」
 まあ、こうなってしまった以上、覚悟を決めるより仕方がない。
 僕は最後に一度だけ振り返り、初雪に「いってきます」を言って玄関を出た。
「……いってらっしゃい」
 そう応える初雪の顔は、一応微笑んではいたけれど。
 でも、確信できる。あれは絶対「行って欲しくない」って顔だ。


 初月と二人、集合場所の駅前広場に向かって歩く。
 時計を見れば、時間は午前8時20分。初雪もそろそろ家を出た頃合いだ。
「……………………」
 歩きながら、ずっと考えていた。
 独り。独りぼっち。
 それがどれほど辛いものかは、僕が一番分かっているはずなのに。
 誰もいない部屋で、独り兄さんの帰りを待っていた僕が、一番理解してるはずなのに。
「アンタまだ心配してんの?」
 今日からあいつはどうするんだろう。
 誰に起こされるでもなく、独りで目を覚まして。独りで朝食を食べて、独りで登校して。
 学校にいる間はまだ良い。友達も、先生もいる。
 でも。
 放課後はどうするんだ? 家に帰ったあとは?
 誰もいない居間で、独りでテレビでも見ているのか?
 自分が食べる分だけ食事を作って、自分が入るためだけに風呂を沸かして。
「ねえ、ちょっと聞いてる?」
 楽しいって言ってた。誰かと一緒にいるのが。
 嬉しいって言ってた。誰かのために何かをするのが。
 淋しいって言ってた。僕らと会えない、学校での時間が――。
 そんなあいつが、四日間も独りでいられるのか?
「……そんなの無理に決まってるじゃないか」
「は?」
 ぽつりと漏れた僕の言葉に、きょとんとした顔をする初月。
 そんな彼女に向かって、僕は真剣な表情で言葉を続けた。
「……ごめん、初月。なんか僕、急に頭が痛くなってきた」
「え? ちょ、急になに言ってんのよ? 頭大丈夫?」
 ……なんとなく物言いにムカツクものを感じたけれど、とりあえず無視。
 僕は頭を抱えて、全力で痛がる演技をした。いや、実際、さっき殴られたところがまだ痛むんだけどな。ど畜生。
「いやもう、急っつうかなんつうか、全然大丈夫じゃない。むしろ死ぬ……ああ、死ぬぅ!」
「いや、ちょっと、アンタ!」
 不意打ち気味の展開においてきぼりを食らって、困惑を全身で表現する初月。
 その様子を後目に、僕はきびすを返す。
「というわけで帰る。帰って寝る」
「……どゆこと?」
「じゃ、篠崎にはそう伝えといてくれ」
 最後にそう言い残して。僕は駆けだした。何処へ? ……決まってる。
 人一倍優しくて、人一倍寂しがりで、そして、人一倍意地っ張りなあいつが待つ家へ。
「……こ、このロリータシスコン野郎っ!」
 なんだかえらく憤った、初雪の声を背中に受けながら。


「……いやまあ、冷静に考えてみれば確かにそうだよな」
 見慣れた自宅の玄関の前で、僕は独り呟く。
 ……扉にはしっかりと鍵が掛かっていた。そりゃそうだ。
 二年生が修学旅行に行っている間も、他の学年の連中は普通に授業を受けてるに決まってる。
「さて、どうしたもんか」
 このままここであいつが帰ってくるのを待つのも、なんとなく嫌だ。
 誰もいない家の前で、独り淋しく少女の帰宅を待つ少年。
 ……まあ、確かに絵にはなると思うけど。でもそれじゃ、まるであべこべじゃないか。
「むう」
 授業が終わるまでの数時間、とりあえずどこかで時間を潰すしかないか――。
 なんとも釈然としない気分で、僕は玄関前から離れた。


「それでここに来たってわけ?」
「……はい」
 桃萌さんが淹れてくれたコーヒーを啜りながら、僕は小さく頷いた。
 そう。あれから色々と歩き回った末、結局僕はここにたどり着いていた。
 いつもの店のいつもの席。いつも通りに珈琲を飲みながら、いつも通りの彼女の声を聴く。
 三好圭二の姉さんである、桃萌さんが経営する喫茶店。
 弟と違って人間が出来ている桃萌さんは、修学旅行に行ったはずの僕が唐突に現れても、驚きこそすれ、なんら否定的な素振りも見せず、店の中へと導き入れてくれた。
「……しっかし、城宮君もなかなか大胆な事するわねぇ」
「そうですか?」
 苦笑しながら言う桃萌さんに向かって、僕は大したことでも無い風に応える。
 ……実際はかなり大したことなんだけど。
 そう、兄さんに知れたら、それこそボコボコにされかねないくらい。
「そうよ。普通出来ないわよ? 修学旅行すっぽかして愛しい人の元へ駆け戻る、なんてさ」
 ――ごほっ!
 口に含んだコーヒーを、危うく吹き出しそうになる。
 ……なんですか、その愛しい人ってのは?
 慌てる僕の様子を心底面白そうに見つめながら、先生はさらに続けた。
「恋人の旅立ちを見送る少女。心配をかけさせまいと気丈に振る舞いながらもその心は千々に乱れる。
 ああ、貴方は行ってしまうのね。私を置いて、遠い場所へ――。
 そして旅立つ少年。愛しい女を残してゆくその辛さ、苦しさよ。
 許しておくれ、僕が愛した君よ。そしていつか、帰って来る日を待っていておくれ――」
 奇妙な節をつけて、すっかり気分はミュージカルな桃萌さん。
 無駄だと思いつつも、一応は突っ込んでおくことにする。
「……なんで急に三文芝居が始まるんですか?」
「だがしかし、愛しい彼女を捨て置くことなど、彼に出来るはずもなく!」
 ほら、やっぱり聞いちゃいねえ。
「……とまあ、冗談はさておき」
「冗談だったんですか? かなりマジっぽい感じに見えたんですけど」
「冗談は、さておき」
「ああ、はいはい。冗談でした。面白い冗談でしたよ!」
 ずいっと顔を突き出してこちらを睨む桃萌さんの言葉を、僕はやけになって肯定した。
 こういうのは苦手だ。色々と。
「城宮くん的にはどうなのよ? やっぱマジで惚れちゃってるわけ?」
「いや、だから――」
「冗談で聞いてるわけじゃないの」
 そう言ってじっと僕を見据える彼女の目は、確かに真剣だ。
 ……やれやれ。なんでこう、他人の事に親身になれるんだ? この人は。
 まあ、別に悪いことじゃないけどさ。
「……正直、好きなんだと思います。色々とマズいってことは理解してますけど」
「でも、好きになったものはどうしようもない、と」
「はい。……今朝家を出るまでは、確信は持てなかったんですけどね。
 独りぼっちで僕らを待ってる初雪を想像したら、もうどうしようもなく悲しくなっちゃって。
 僕が一緒にいてやらないでどうするんだ、ってね」
「…………」
 僕の言葉を、桃萌さんは頬を紅く染めながらも、真剣に聞いてくれていた。
 ていうか、聞いてくれるのは良いけど、照れないで欲しい。
 言ってるこっちの方も恥ずかしさが倍増するから。
「でもさ」
 ぽつり、と桃萌さんが口を開く。
「お兄さんのことは、どうするわけ?」
「……………………」
 分からない、というのが本音だ。
 というか、そもそも今はまだ僕の片思いなのであって、このままの状況を維持するならば、なんの問題もないわけで。
 ただ、マズイのは、このまま帰ったらまず間違いなく僕は初雪に気持ちを伝えてしまいそうだってこと、そして自惚れて良いのならば……初雪の方でも多分、僕に好意を持ってくれているってことだ。
「……はあ」
 上手くいっているようで、実際のところはしがらみでがんじ絡めだ。
 思わずため息が漏れたって、誰にも文句は言えやしないだろう。
 と、その時。
 ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん、と。
 店内に置かれたアンティークな大時計が、午後三時を知らせて鳴った。
「そろそろ帰ってくるんじゃない?」
「そう、ですね……」
 ストゥールから腰を上げながら、僕は尻ポケットを漁って財布を取り出した。
 修学旅行のお土産用にいくらか奮発して入れてあるお陰で、懐はやけに暖かい。
 小銭を取り出して、カウンターに置く。
「じゃ、帰ります」
「まあ、こんなこと言ったってしょうがないとは思うけど……頑張ってね」
「……はい」



 少し帰るのが早すぎた。
 三時を二十分ほど回った時間に帰宅した僕は、またしても玄関の前に座り込む羽目になった。
 なんだか色々とタイミングが悪い。まあ、別に良いんだけど。
 ぼんやりと空を見上げながら、初雪のことを考える。
 多分、今日ばかりはここには帰ってきたくない気分なんだろう。
 いつもだったら楽しいはずの帰り道も、今日は憂鬱な色に染まっているんだろう。
 ……それが僕のいないせいなんだとしたら、それは申し訳なく思うべきことなんだろう。
 でも、正直、嬉しいと思う気持ちの方が大きかったりする。
 だって、それほどまでに彼女が、自分のことを想ってくれているんだから。
「……って、ここまで行くと妄想だな」
 そうだ。今考えたことは、みんな確証のない僕の想像にすぎない。
 もし初雪が僕の事なんて何とも思っていなかったら、今ここにいる僕は、哀れな道化に落ちぶれることになる。
 ……まあ、それを確かめるために、僕はここにいるのかも知れないんだけど。
 と、その時、門の向こうから、戸惑うような声が聞こえてきた。
「あ……あれ?」
 聞き慣れた声。聞きたいと思っていた声だ。
「……な、なんで?」
 地べたに座り込んだまま手を振る僕を、初雪はまるで幽霊でも見るような顔で凝視する。
 微笑ましいというか、なんというか。
 なんともいえない暖かい気持ちが、胸にわき上がってくるのが感じられる。
 出来るなら、このまま彼女を抱きしめたいと思うくらい。
 でも、さすがにそれは焦りすぎだ。
 今は、とりあえず、
「……おかえり、初雪」
 こうして彼女を迎えることに、全力を尽くそう。


 居間。ソファに座ってぼんやりとテレビを視る僕と、その傍らで所在なさげに振る舞う初雪。
「ええと……ええと……」
 二人で家に入ってからも、初雪はずっと「信じられない」といった顔で僕を見ていた。
 まあ、仕方ないと思う。だって修学旅行をすっぽかして戻ってくるなんて、まともな学生の取る行動じゃないし。
 と。
 なにやら意を決したのか、初雪は僕の顔を覗き込みながら聞いてきた。
「なんで、ここに?」
「行かなかったから」
「な、なんで行かなかったの?」
 いきなり核心だ。いや、彼女にしてみればそんなつもりはないのだろうけど。
 でも、僕にしてみれば、この質問に答えるにはかなりの覚悟がいる。
「なんで……?」
 泣きそうな顔で、初雪が急かす。その表情に後押しされた。
 僕は唇を湿らせながら、一字一句、間違いなく初雪に伝わるように気を配りながら、言葉を編む。
「……初雪と離れたくなかったから」
「…………え」
「初雪を独りにして行くなんて、僕には出来なかったから。だから残った」
「……それは」
 つい、と僕から視線を逸らして、初雪は悲しそうに言う。
「それは、わたしが信用出来なかったってこと……?」
「そういう意味じゃない。なんていうかな、これは初雪側の問題じゃなくて、僕の問題なんだ。
 独りで残る君が心配だったってのももちろん本心だけど、それ以上に、君を独りにしてしまう自分が許せなかった、っていうかさ」
「よく分からないよ……」
 ああもう、じれったい。それならここではっきり言ってしまおうじゃないか。
 僕はしっかりと初雪の瞳を見つめながら、全ての問題の答えを出すことにした。
「僕はその……君が好きだ。義母がどうとかそんなんじゃなくて、女の子として」
「……………………」
「…………………………」
「………………………………」
「……………………………………ええと」
 なんだなんだなんだこの間は? 僕は一体どうすればいいんだ?
 なんか間違ったか? 立ててないフラグでもあったのか?
「ふえ…………」
「ふえ?」
「ふえ゛ぇぇぇぇぇぇ」
「いや、ちょっと待て。なんで泣くんだ? ちょ、いや、その、あれ、ええ!?」
 まるで某新喜劇の座長みたいに取り乱しながら、僕はなんとかして彼女を宥めようとした。
 頭を撫でたり背中をさすったり優しく声をかけたり面白い顔をして笑わそうと試みたりと、およそ色恋沙汰とは関係のない努力を重ねて、なんとか初雪の機嫌を取る。
「……なあ、なんで泣くんだ? 全然分かんないんだけど」
 ようやく涙も止まって、しゃくりあげるだけになった彼女の頭を撫でてやりながら、僕はそう訊ねた。
 初雪はしばらく躊躇うようにして僕から視線を逸らしていたけど、やがて、恥ずかしそうにこちらをちらちらと見ながら言った。
「その…………う……ったから」
「ゴメン、聞こえない。もっかい頼む」
「う…………嬉しかったから、です」
 ……つまりそういうことらしい。
 本当なら、僕の方こそこそ嬉しさのあまり飛び上がっても良いような答えなんだろうけど、何故か今は、そんなハイテンションを発揮する気にもなれない。
 だから僕はただ、初雪の小さな体を横合いからぎゅっと抱きしめるだけにしておいた。
 これだけで、今は充分だった。
「…………あ……その…………」
「ん?」
 僕の腕の中に、すっぽりと収まる小さな彼女。
 ここからでは見えないけれど、きっと真っ赤になって照れているに違いない。
「……わたしも、その…………」
「うん」
「わたしも、孝宏くんの事が嫌いじゃないというか苦手意識を持っていないというか敵対する意志はないというか悪意無き民衆の声こそが現代の政治にとって最大の障害であるというか……!」
 ぶつぶつとしゃべり続ける彼女の混乱を止める方法。
 さて、それはなんですかって、僕は誰に訊いているんだ? まあ、いいけど。
 僕は抱きしめていた腕を一旦解いて、初雪を解放した。
 腕を解いても、初雪は僕にもたれかかったまま体を離そうとはしない。
 僕の胸に頬を押し当てたままの体勢で、初雪は呟き続ける。
 気づいてみれば、それはもうわけのわからない混乱した言葉なんかでは無くなっていた。
 そう。彼女は今、はっきりとした意志で、僕に想いを伝えようとしていた。
「……本当は、行って欲しくなかった……。
 孝宏くん達が早めに家を出てから、いつもの登校時間になるまでの間……。
 ひとりでいるのがすごく淋しくて、辛くて。
 でも、こんな子供みたいなことじゃ駄目だって。孝宏くんに笑われちゃうって、そう思って。 でも、でも…………」
 ところどころ詰まりながら、それでもしっかりと言葉を紡ぎ続ける初雪。
 ソファに浅く腰掛けたまま、僕はその言葉が自分の胸に染み込んでゆくのを感じていた。
「学園に行って授業を受けてる間は平気だったの。ホントに。
 でも、お昼休みになって、いつもみたいに孝宏くんたちと一緒にご飯を食べようとして……。
 なのに、二年生の教室に行っても、誰もいなくて、それで……」
 ――これ以上、何も聞くことは無かった。
「……え……んうぅ……?」
 僕はただ無言で初雪を抱きしめ、そして口づけをした。
 唇を重ねるだけの、他愛のないキス。
 だけど、それだけでも充分想いは伝わったはずだ。
「僕は……僕は初雪が好きだ」
 だから、初雪も、気持ちをはっきりと伝えて欲しい、と。
 しっかりと初雪の瞳を見据えて、僕は言った。
 初雪の気持ちががどんなものであれ、受け止める覚悟は出来ているから。
 ……いや、キスしておいてから、こんな事を考えるのも卑怯だけれど。
「わたしは……」
 腕の中から僕を見つめ返して、初雪はしっかりとした口調で応えた。
「わたしも、孝宏くんが好き」
 想いが繋がった。
 僕は再び彼女を抱きしめた。
 こういうのはフランス映画にでも出てきそうな伊達男の専売特許だと思っていたけど、
 どうやらそういうわけでもないらしい。
 要するに、真剣に人を好きになってさえいれば、そして相手がその思いに応えてくれれば。
 それだけで、誰かを抱きしめるには充分なのだ。
 そして、もしそれ以上の何かを求めるのならば……そう、たとえばこんな台詞だ。
「僕の部屋に行こう」
 ある意味で、今まで暮らしてきた世界を変えてしまいかねない一言。
 それを照れながら口にする僕に対し、初雪は一瞬だけ驚いた顔を見せながらも、
 こくり、と。
 頬を紅く染めながら、頷いた。



「え、ええと……」
 ベッドに腰掛けて、恥ずかしそうにこちらを見上げる初雪。
 そんな彼女の隣にゆっくりと腰を下ろしながら僕は訊ねた。
「怖い?」
「大丈夫……大丈夫だよ?」
 そう言うわりに、僕の目に映る初雪の肩は小刻みに震えている。
 僕はその肩を優しく抱きながら、耳元に口を寄せて囁いた。
「……あのさ」
「は、はい」
「こんな時に意地なんて張らなくても良いから」
 そう言って僕は、そのままつうっと顔を横に動かして、正面から初雪の頬に口づけた。
「あっ……」
 驚く彼女の声を聞きながら、僕は言葉を続ける。
「怖いなら怖いって言えば良いし、嫌なら嫌って言って欲しい。
 して欲しいことがあるならそう伝えてくれれば良いんだ。素直に。
 それくらいのことで僕が初雪を嫌いになるなんてあり得ないんだから」
「……はい……」
 僕の言葉に初雪は小さく頷いた。
 その仕草に満足して、彼女の頬に触れていた唇を離した。
「あの……」
 顔をこちらに向けて、囁くような声で言葉を紡ぐ初雪。
 涙に潤んだその瞳を見つめ返す。
「やっぱり……ちょっと怖い」
「そう」
「怖いし、恥ずかしいし、どうして良いのか分からないよ」
「……うん」
 その気持ちはよく分かる。僕だって同じだから。
 こうやって好きな誰かとひとつになることなんて、初めてだから。
 偉そうなことを言ってはみたけれど、もし初雪に拒まれたら、なんてことを考えるだけで、
 不安に押しつぶされそうになっていたりするから。
 でも……。
「でも、それでもわたし……孝宏くんのこと、信じてるから。
 好きな人が自分のためにしてくれることだから……
 きっと、怖い事なんてなにもないってだって思ってるから」
 初雪は僕を見つめながら、はっきりとそう言ってくれた。
 僕のことを信じてるって、好きだからって、そう言ってくれた。
 それが嬉しくて、僕はたまらず初雪の唇に自分のそれを重ねていた。
「……うん…………んん……」
 唇を合わせたままでしばらく時間を過ごす。
 突然のことで驚いただろうに、初雪は少しの抵抗もしないで、僕のキスを受け入れた。
 信じているから。その言葉通りに、初雪は今、僕に自分の全てを預けてくれている。
「……んむっ……ん……むぅ……」
 僕が舌でノックすると、少し躊躇うような時間を置いて、閉じられていた唇が少し開いた。
 その隙間から、舌を滑り込ませる。
「……ううん……んん……ふ……む…………」
 息をつくのも忘れて、彼女の口の中を貪るようになめ回す。
 最初は縮こまって奥に引っ込んでいた初雪の舌も、気が付けば、僕のそれに絡みつくようにして動き出していた。
「んむぅ…………ぷ……はぁ……」
 しばらくそうやって触れ合っておいてから、僕はゆっくりと唇を離した。
 少し苦しげに息を吐く初雪。
「……大丈夫?」
「う、うん……なんか、頭がぽおっとしてるけど……でも……」
「でも?」
「でも……気持ちよかった」
 そう言って、初雪は照れた微笑みを浮かべた。
 僕はそんな彼女に微笑みを返すと、ベッドの上に腰掛けている彼女の体を優しく押し倒した。
「……あ……」
 初雪は驚いたというよりは、やがて来ると思っていたその時がとうとう訪れてしまった、
 というような、どこか戸惑いの混じる吐息を漏らす。
「服、脱がすよ」
「……うん」
 ブレザーのボタンに手をかけて、ひとつひとつ、まるで儀式を執り行う祭司みたいな手つきで、慎重に外していく。それが終わった後は、スカートのホックを外して、脱がせる。
 こう言うとまるですんなり簡単に脱がし終えたみたいに感じられるかもしれないけど、
 実際のところはそうでもなかったりする。
 当たり前だ。女の子の服を脱がすのなんて、初めてなんだから。
 
 ……やがて全ての行程を終えた僕の眼前に、ミルクみたいに滑らかな白さの肌が現れた。
 ごくり、と喉が鳴る。その音を聞いて、初雪は恥ずかしそうに顔を背けた。
「ブ、ブラジャーも取るよ?」
「……い、いちいち聞かないで……恥ずかしすぎるよぉ……!」
「あ、いや、ごめん……」
 怒っているのか照れているのか分からないような口調で僕を責める初雪。
 その声が、右の耳から左の耳へと抜けていくのを感じながら、
 僕は彼女の背中に手を伸ばして、金具を外した。
 そのまま引っ張るようにしてブラジャーを取る。
「あ……」
 上半身を隠す最後の一枚を取り去られて、初雪は諦めたような声を漏らした。
「綺麗だよ」
 無意識のうちに胸を隠そうとしていた彼女の腕を、そっと掴みながら。
 僕は初雪に向かってそう囁いた。お世辞でもなんでもない、心からの言葉だ。
「……恥ずかしいけど、嬉しい……」
「触っても、良いよね?」
「だから聞かないでよ……信じてるって言ったでしょ?
 全部まかせるから、孝宏くんは孝宏くんのやりたいことをやって……?」
「う、うん。じゃあ……」
 もう一度唾を飲み込んで、僕は初雪の胸のふくらみに手を伸ばした。
「……うわ……」
 まるでつきたての餅のように柔らかな感触に、思わず感嘆の声を上げてしまう。
「……ぁ…………」
 力を入れればどこまでも沈み込んでしまいそうなその柔らかさ。
 決して大きくない。どちらかと言えば明らかに小さい方だと思う。
 だけど。今触れているのが、あの愛らしい初雪の胸だと思うだけで、
 自分の理性がすごい速度でとろけてゆくのを感じることが出来た。
「……んっ……あぁ……はあ……うぅん」
 胸に触れた掌に力を入れるたび、初雪は鼻にかかった声を漏らす。
「気持ち良い?」
「……わかんない、わかんないよぉ…………はあんっ!」
 乳房の頂点に萌え出た桃色のつぼみを、軽くつまんでみる。
「ひゃあっ!?……そんな……駄目……駄目だよぉ……!」
 不意に襲ってきた未知の感覚に、初雪は甲高い嬌声を上げた。
 次いで、顔を両手で隠しながら、いやいやと首を振る。
「駄目って……気持ち良くなかった?
「そうじゃないけど……でも、駄目だよう……」
「……じゃあさ、これはどう……?」
「これって…………はぁんっ!」
 彼女が疑問の声を上げる前に、僕は乳首を口に含んで吸い上げていた。
 もちろんもう片方の乳房を空いた手で揉みほぐすことも忘れない。
「そん……な……舐めちゃっ……やぁああっ…………あぁん……!」
 そのまま唇をあてて、舌の先でころころと転がす。
 固く尖った乳首に舌が触れるたび、初雪は苦痛とも快感ともとれる喘ぎ声を上げる。
 気がつけば、初雪の両腕は僕の頭をしっかりと抱え込んでいた。
「ふぅんっ……ふ……ふあっ……ああ……こんな……め……っ……」
 息も絶え絶えといった様子の初雪。
 女の子の体のことはよく分からないから、自分がやっていることで本当に彼女を気持ち良くさせてあげられるか、いまいち不安だったのだけど。
 ここまで感じてくれると僕も嬉しいというか、一安心というか。

 ……さて。そろそろ、なんだろうか。
 僕は胸から顔を離しながら、胸に触れていた手を下の方へとずらした。
 すべすべとしたお腹を撫で、へそに軽く触れ、そしてその手はやがて、薄い布に守られた、彼女自身の元へとたどり着いていた。
「……ぁ…………」
 下着の中へと潜り込む指の感触に、初雪は身をこわばらせる。
「心配しなくて良いから……」
 耳元でそう囁いてから、ついばむように唇を合わせた。
「……う、うん……あむぅ…………ん……」
 何度もキスをしているうちに、初雪の緊張がほぐれていくのが分かった。
 僕は止めていた手の動きを再開させる。
 痛くないように、傷つけないように優しく入り口を撫でる僕の指先を、
 彼女の中からこぼれ出したものが、少しずつ湿らせてゆく。
「……ふぁ……孝宏、くん……はあっ……ああ…………っ」
 気が付けば、僕の手は指先だけじゃなく手首の辺りまでぐっしょりと濡れていた。
 これくらい濡れてれば大丈夫……なんだろうか?
 入り口を撫でさするだけだった中指を、慎重に彼女の中へと潜り込ませた。
「ひやぁあっ!?」
 ……熱い。彼女の中は信じられないくらいに熱を孕んで燃えさかっていた。
 中に入れた指を動かしてみると、くちゅりと粘りけのある音がした。
「……すごい」
「……はあっ……ああ……そ、そんな音、させないで……!」
「なんか、溶けてきてるみたいだ」
「……はぁん……ん、んぅ……言わないでよぉ……」
 わき上がる快感に身を震わせながら、初雪はいやいやと首を振る。
 そんな仕草が、あまりにも可愛すぎて。
 さすがにこれ以上は我慢できそうになかった。
 僕は指を引き抜き、そしてズボンの内側でぱんぱんに起きあがって自己主張している自分自身を取り出した。
 激しすぎる快楽の波から突然解放されて、荒い息を吐く初雪。
 ベッドに横たわる彼女を、上から覆い被さる体勢から見つめて、問う。
「初雪……良いか?」
「はぁ、はぁ……ふぅ……だ、だから聞かないでってば」 
「いや、これだけは聞いときたいんだ……なんとなく、だけど」
 そう言って照れ笑いする僕を見上げながら、初雪もまた微笑んだ。
「……良いよ。何度も何度も何度も言うけど、わたしは孝宏くんのこと、信じてるから……」
 そう。ただその言葉だけを、もう一度聞いておきたかったんだ。
 僕は顔を下ろして、何度目になるかも分からないキスをした。
 唇を重ねるだけの、ただ、彼女に触れるためだけのキス。
 しばらくそうやって触れ合って、気持ちの整理をつけてから、
 僕は彼女の入り口に張りつめた僕自身をあてがった。
 さっき丹念に指で調べておいたから、挿入れる場所を間違える愚は犯さずに済みそうだ。
「じゃあ、いくよ」
「…………うん」
 初雪がこくりと頷くのを確認してから、僕はゆっくりと腰を沈め、押し進めた。
 ……初雪の中は熱く、そして狭かった。
 さっきまでの愛撫でかなり僕を受け入れやすい状態になっているはずなのに、
 それでも、力を込めて腰を押し出さないと、奥には進めない。
「……くぅ……ん……」
 異物が入り込んでくる圧迫感に、初雪が苦しげな声を漏らした。
 初めて男を迎え入れる苦しみや痛みを悲鳴と一緒に噛み殺して、初雪は耐えていた。
 そんな彼女の姿に、胸に熱いものがこみ上げてくる。
 僕は初雪の手をぎゅっと握りしめた。
 そして……何かを引き裂くような感触とともに、僕たちは本当に最後の一線を越えた。
「……い、た…………くあっ……」
「入った……入ったよ、初雪」
「……入ったの?」
「ああ」
 これで僕らはひとつになった。
 そう思うと、嬉しくて嬉しくて、泣き出したいくらいだ。
「ねえ、孝宏くん……」
「うん?」
「嬉しいよ。ホントに嬉しいよ……!」
 そう言って、泣き笑いの表情を浮かべる初雪。
 その顔が、声が、言葉が、信じられないくらいに愛おしくて。
「初雪……動くよ」
「え……あ、うん……」
 これ以上自分を抑えられる自信は無かったし、そして抑えるつもりも無かった。
 処女膜を破ったところで止めていた物を、さらに前進させる。
「……あ、つぅ……!」
 そうして僕の物は、完全に彼女の中に収まった。
 動くよとは言ったものの、実際のところ動く必要性も感じられないくらい、初雪の中は心地よかった。出来ることなら、このまま一生じっとしていたいくらいだ。
 でもまあ、いくらなんでも、そんなわけにはいかない。
 僕は今度は腰を引いて、自分の物を初雪の中から引き抜いてゆく。
「はあ……ああっ……!」
 そしてまた、押し込む。その動作を何度も繰り返す。
「……はうぅ……ぅん……んあ……ああ……」
 最初は痛みだけを訴えていた初雪の吐息に、段々と甘い響きが混じってくる。
 そして、それに呼応するようにして、腰を動かす行為も幾分スムーズに行えるようになってきた。
「……んぁ、ああ…………あんっ……ああっ……!
 動いてる……孝宏くんのが……ふあぁ……わたしの中で動いてるよぉ……!」
 甘くとろけきった初雪の嬌声。
 聞いているだけで、どうしようもないくらいに気持ちが高ぶってくる。
 自然、腰の動きも早くなり、そしてそれがさらに初雪の悦びを加速させる。
「……あっ……あっ……あっ……ああっ……ふああっ!
 駄目……んああ……駄目だよぉ……なんか……なんかきちゃうよおっ……!」
 ……もう、止まらない。
 頂点が見え始めたこの行為に、僕は終止符を打つべくさらに動きを早めた。
 もはやなにがどうなっているのかも分からないのだろう。
 初雪は恍惚とした表情で喘ぎながら、繋いだ手に力を込めてきた。
 僕も同じようにして握り返す。
「……きゃふうっ……んっ……ふうんっ…………んあ、ああ、ふあああっ!
 も、もう……くるよぉ……ひぅうっ!? ……ふあ、ふうああんっ!
 ……駄目、駄目、駄目ぇっ、もう……わたしぃ……っ!!」
「くっ」
 限界まで高ぶった僕自身を初雪の中から引き抜いた瞬間。
「ああっ……はああっ! ふああああああぁぁぁぁっっ!!」
 初雪が一際大きな声を上げて絶頂を示した。
 背中をぴんと反らしてのけぞる彼女の身体に、勢い良く白濁が降りかかる。
「つあ……はあ……はあ……」
 糸の切れた人形のように、どさりとベッドに倒れ込む初雪。
 そんな彼女に覆い被さるようにして、僕もまた、精根尽き果てた心境で身体を下ろしたのだった。



「なあ、初雪」
「……なぁに?」
「これで……良かったのかな?」
 今ここでこれを問うのは、ある意味ではとても卑怯なことだと思う。
 僕はこの質問をぶつけることで、初雪にもう一度考える余地を与えてしまった。
 そして、考えた上で、僕を受け入れてくれることを望んだ。
「……わからないよ。先のことなんて何にも分からない。
 もしかしたらこれから、すごく後悔することになるかもしれない。
 明日には孝宏くんを嫌いになってるかもしれない。……でもね」
「でも?」
「今のわたしは孝宏くんが好き。これだけは絶対に変わらない事実だよ?
 明日になっても明後日になっても、『今日』の私が孝宏くんを好きだったってことは、絶対に変わらないよ。
 その思い出がある限り、わたしはきっと孝宏くんのこと、好きでいられると思う……」
 そこまで一息に言ってしまってから、初雪は不意に泣き笑いのような表情を浮かべ、
「……あはは。わたし、何言ってるんだろ? わけわかんないよね……ごめんね?」
 僕の手を握りながら、そう言って謝った。
「……いや」
 僕は繋いだ手に力を込めて、離さないようにしながら、
「ありがとう」
 たぶん彼女には聞こえないくらいの声で、そう呟いた。
「あのさ、父さんが帰ってきたら、二人でちゃんと説明しような」
「……うん」
 頷く初雪の頭を撫でてやりながら、父さんについて考える。
 
 兄さんはきっと初雪に奥さんの――恵美義姉さんの面影を重ねているのだと思う。
 今思えば、性格や、雰囲気が、たしかに初雪と似ていたような気もする。
 だからたぶん兄さんと一緒になったら、きっと初雪は幸せになれる。
 ――一度失った物はもう二度と失いたくないだろうから。
 放さないように、傷つけないように、初雪のことを心から大切にするだろう。
 でも……そういうのはやっぱり違う。
 当たり前のことだけれど、初雪は初雪であって義姉さんじゃない。
 だから兄さんが、義姉さんの身代わりとして初雪を愛するというのなら。
 初雪のことが好きなのではなく、初雪の中に見出した義姉さんを愛しているのなら。
 それはきっと、すごく悲しい事だ。

「……僕は初雪が好きだ。それをちゃんと兄さんに伝えようと思う」
 自分に言い聞かせるようにして、呟く。
 最後に残った、たったひとりの肉親。
 そんな大切な人を裏切ったという事実に負けないように。
「わたしも、孝宏くんが好きだってちゃんと言うよ。
 言って、ごめんなさいって謝る。それで許してもらえるとは思えないけど、でも謝る」
「……大丈夫だよ、きっと許してくれる」
「そうかな?」
「明日っていう日の良い面だけを見てさ。良いことだけを考えるようにしたらいいんだ。
 悪いことが起きたらその時点で考えるようにしたらいい。その方がきっと幸せになれるよ」
 というのは、昔読んだ小説の受け売りなのだけれど。
 でも、間違ったことは言っていないと思う。
 たまにはそういう楽観に遊ぶことをしないと、きっと肩がこって仕方がないだろうから。
「……そうだね。明日考えよっか」
「それがいい。明日が駄目なら明後日でも良い」
 そう言って、二人で笑い合う。
 人生は楽しいことばかりじゃないし、未来はきっと希望になんて満ちちゃいない。
 でも、僕らは二人で歩いて行こうと決めたから。
 だから、こうして笑い合っていれば、大抵の困難は乗り切れるような気がした。
 たとえそれが気のせいだとしても、今はそういう気分に浸っていたかった。


 そういう気のせいの積み重ねが恋愛だなんて、そんなことを言うつもりはないけれど。
 とりあえず僕らは、そういう風にして生きてゆくのだ。




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