あなたたちに似ようとしたのは、人恋しくてたまらなかったから


■それでも、夢の中でだけは飛んでいたい

僕の、『願いが一つだけ叶うなら、なにがいい?』という質問に、お姉ちゃんは、こう答えた。

「美味しいものも食べたいし、綺麗な服も着てみたい。お母さんが帰ってくるっていうのも良いかな。でも、ひとつだけって言われたら……そうだなぁ、やっぱり空を飛んでみたいかな。鳥みたいに。空を飛んで、私達の世界を見下ろしてみたいんだ」
 見下ろしたって、どうせ全部真っ白でつまんないよ。そういった僕を、お姉ちゃんは笑いながら見つめていた。

 よくわからないけど、大昔に世界は一度壊れたらしい。悪い大人が、恐い爆弾で全部吹き飛ばしちゃったんだって、お父さんが言ってた。そのせいで何年も冬が続いているんだ、春はまだまだ来ないんだ、とも教えてくれた。でも、僕にはよく分からない。春ってなに? 春になると、雪が止むの? 真っ白じゃなくなるの? その答えを僕に教えてくれる前に、お父さんはいいなくなってしまった。
 ウチは、とてもじゃないけどお金持ちと呼べる様な家庭じゃなかった。というより、貧乏としか言い様がない。お父さんはとっくに知らない女の人とどこかへいっちゃったし、お母さんも去年の暮れにいなくなってしまった。お姉ちゃんは、「とても遠い所へ行っちゃったんだよ」と言っていたけど、本当はそうじゃない。お母さんが死んでしまったことぐらい、僕にだって分かってる。
 でも、別に淋しくなんてなかった。僕には、お姉ちゃんがいたから。お姉ちゃんは、とても優しくて、綺麗な人だった。貧乏だから、綺麗な洋服もアクセサリーも無かったけど、そんなのとは関係なく、お姉ちゃんは綺麗だった。お姉ちゃんが笑うだけで、世界がすごく華やかな色に染まった。
 でも。お姉ちゃんは、ちょっと体が弱かった。だから、お父さん達がいなくなってからは、僕が働いて、なんとか生活していた。

 だからなんだろうか? お姉ちゃんは、「ごめんね」が口癖だった。お姉ちゃんにそう言われるたびに、僕の心臓は、荒縄でぎゅうっと締め付けられるみたいに痛んだ。
 
 ある日、お姉ちゃんが僕にこう言った。
「私にでも出来る仕事が見つかったの。これからは、もっと一杯ご飯が食べられるよ」
 そう言って笑ったお姉ちゃんは、何故か少し悲しそうだった。そんなお姉ちゃんを見て、僕も少し悲しかったけど、無理やりに笑った。笑わないと、お姉ちゃんが泣いてしまいそうだったから。
 その日から、お姉ちゃんは夜遅くまで家に帰ってこなくなった。夜明けごろになってやっと帰ってきた日もあった。
 心配になった僕は、お姉ちゃんに「そんなに夜遅くまで働いてたら死んじゃうよ」って言ったんだ。それでもお姉ちゃんは、静かに笑うだけだった。それを見る僕も、笑うしか無かった。

 そんな毎日を一年くらい過ごしただろうか? 僕がいつもの様に炭坑で働いていたら、近所のおじさんが、なんだか慌ててやってきた。「どうしたの?」って僕が聞いたら、おじさんは、信じられない事を言ったんだ。

「お姉ちゃんが、死んだ」

 最初は、悪い冗談だと思った。でも、おじさんはとても恐い顔で、「こんな冗談が言えるかっ!」って怒鳴ってきた。それでも、僕には信じられなかった。確かに、働き出してからのお姉ちゃんはとてもつらそうだった。でも、急に死んじゃうなんて。とにかく僕は、おじさんと一緒に、お姉ちゃんが死んだっていう場所に行ったんだ。

 そこは、街で一番高いビルの真下だった。お姉ちゃんは、ビルから飛び降りて死んだんだって、おじさんが教えてくれた。でも、僕にはそんなこと、聞こえていなかった。そこには、お姉ちゃんはいなかったけど、なんだかお姉ちゃんの匂いがするような気がする。
「お姉ちゃんはどこ?」
 そう聞こうと思ったけど、おじさんはとっくにいなくなってた。
 僕はしばらく、その場所でぼうっとつっ立っていた。しばらくして、なんだかお姉ちゃんの声がしたような気がして、ビルのてっぺんの方を見た。でも、お姉ちゃんは見えなかった。
 僕はビルの屋上に行ってみることにした。もしかしたらお姉ちゃんがいるかも。
 でもやっぱり屋上には誰もいない。アンテナのてっぺんからゴミ箱の中までくまなく調べたけど、何処にもお姉ちゃんはいなかった。僕は、ビルの端っこに立って、下を見た。なんだか、そうしないといけない気がしたんだ。ビルから見える地面は、ほとんどが真っ白だったけど、その真っ白の中に、ポツンと赤い花が咲いているのを見つけた。
 とっても大きい花みたいだ。だって、こんな高い所からでも見えるんだもの。とても紅くて、ちょっとイビツな形をした花。それを見ている内に、僕の両目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
 お姉ちゃんは、本当に空を飛んでしまったんだ。やっぱり、真っ白でつまんなかったんだろうか? 確かめてみることにする。簡単な事だ。僕も飛べば良い。それだけで良いんだ。お姉ちゃんは僕を待ってる。きっとそうだ。今まで、ずっと一緒に生きてきたんだもの。早く飛ばなくちゃ。お姉ちゃんを独りにしてちゃ可哀相だ。

 ……そんな事を考えながら見る世界は、やっぱり真っ白でした。




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