あなたたちに似ようとしたのは、人恋しくてたまらなかったから


#たとえばの話


 例えば。
 例えば、こんな光景を想像してみる。

 人気のない児童公園。
 砂場に向かい合うように設置されたベンチに、恋人と呼ぶには若干遠く、他人というには僅かに近い間隔をおいて、僕と彼女が腰掛けている。
 季節は冬。
 お互いの手には缶コーヒーが握られているけれど、それはとうに冷め切っていて、暖をとることは出来そうに無い。
 僕は冷めたコーヒーの残りを一息に飲み干すと、空になった缶を、ベンチから5メートルほど離れたところにあるゴミ箱に向けて放り投げた。空き缶はゴミ箱の縁に当たって甲高い音を上げ、それでも、ちゃんとその中に収まってくれた。
 ナイスシュート。NBAからスカウトが来てもおかしくない。
 だけど、そんな僕のファインプレーを褒め称えてくれる人間は、残念ながらここにはいないらしい。彼女はうつむいた姿勢で缶を両手で握りしめたまま、ちらりともこちらを見ようとしないし、僕は僕で、独りではしゃぎ回れるほどテンションが高いわけじゃない。
 僕は小さく嘆息した。そして、かじかんだ手をコートのポケットにねじ込もうとする。
 その手を、彼女が掴んだ。
 驚いた僕が視線を送れば、彼女は持っていた缶を足元に置いて(あるいは捨てて)、身体を半ば以上こちらに向けた格好で、僕の顔をじっと見つめていた。底が見えないくらいに深い、だけど、それでいて酷く透明度の高い瞳。そういえば、日本で一番澄んだ湖っていうのはどこだったっけ、なんて、全然関係のないことを考えながら、僕は彼女に問いかけた。
「どうしたの?」
 彼女は一瞬だけ瞳を揺らして、小さくかぶりを振った。
「ううん……別に」
 別になんでもないの、と。白い息を吐きながら、彼女はかすかに笑ってみせた。明らかに作り物だと分かる、彼女が着ている白いコートの、襟元についたファーみたいな笑顔で。
 ――こんなときに何を言えば良いのか分からなくなってしまうのは、ある意味では僕に科せられた宿命とも言える。宿命、宿業、運命、天命。そんなものは糞食らえだ。だから僕は、何も考えないでただ思いついたことをそのまま口にすることにした。
「コーヒー」
「え?」
「飲み終わったんなら、捨てるけど」
「……ああ。うん」
 期待はずれ。そんな文句が顔に書いてあるのがはっきりと読みとれた。だけど、そんなのって僕に対する買いかぶり以外の何者でもない。第一、他人に期待なんかするなって、そう僕に教え込んだのは、他ならぬ彼女自身じゃないか。僕がなにかを求めるたびに、そう言って拒絶してきたのは、彼女の方じゃないか。お願いだから、僕に「ミイラ取りがミイラになる」なんて古典的な表現を使わせないで欲しい。
 そんなことをつらつらと考えながらも、結局僕はなにも言わないで、未だに僕の手を掴んでいた彼女の指をゆっくりと解いて、そして彼女の足元から空き缶を拾い上げた。そのまま振りかぶって、第二球。浅い放物線を描いて飛んだ缶は、さっきと同じようにゴミ箱の縁に当たって音を立て――だけど、今度は外れた。
 ゴールに嫌われた空き缶は、地面に落ちて一度だけ小さく跳ね上がった後、こちらをめがけてころころと転がり、彼女の足元で停止した。まるで主人を慕う健気な犬みたいに。僕は彼女に目を向けて、そしてその視線が帰ってきた忠犬ならぬ忠缶にじっと寄せられていることを確認した。なんとなく苦笑しながら、缶をもう一度拾い上げようと伸ばした僕の腕が――再び、彼女の白くて細い手に包まれる。
 ほんの少しだけ、瞬きを二度か三度くらいする分だけの時間を置いて、僕はまた、先ほどと同じ台詞を吐く。
「……どうしたの?」
 なんでもない、なんて応えは、今度は返ってこなかった。彼女は今の僕らの唯一の接点とも呼ぶべき、繋がれた二人の手を静かに見つめて、意を決するように深く息を吸って、そして言った。
「話が、」
 僕の右手首を掴む彼女の指に、ほんの少しだけ力がこもった。
「話が、聞きたいの」
「話って?」
「なんでも良いの。なんでも良いから、とにかくお話が聞きたい。君のお話が」
 もちろん僕は途方に暮れた。急にそんなこと言われたって、困ってしまう。僕は彼女の真意が知りたくて、じっとその顔を見つめてみるけれと、彼女は頑なな表情で僕らの手を見つめたまま、決して僕の眼を見ようとしない。やれやれ、と。僕はこっそりため息をついた。
「そういうの、苦手だって――」
「うん、知ってる。知ってるけど……それでも、聞きたい」
 こんな風に意固地になった彼女をなんとか出来るような、そんな力を僕は持ち合わせていない。だから仕方なく、僕は彼女の望みを叶えてあげることにした。
 目を閉じて、頭の中の引き出しを、片っ端からひっくり返して――そしてようやく見つけた、僕の物語。面白くもなんともないし、特に教訓が得られるわけでもないし、その上、どうしようもないくらいに後味が悪いけれど、それでも忘れられない、忘れることが許されない、そんなお話。


 ――そう。僕と、彼女と、そして君の話をしよう。




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