あなたたちに似ようとしたのは、人恋しくてたまらなかったから


#傷跡 第四話

 ……すべて終わって。
 再び服を身につけて、手すりにもたれて二人でぼんやりと立ち尽くしていた。
 時間が穏やかに流れていく。
 間が保たないのは苦手だけれど、こういう空気は嫌いじゃない。
 出来ることなら、もう少し浸っていたいとおもえる程度には。
 だけど、そんな俺のささやかな願いは、白坂の声に砕かれた。

「……あはは」
「なに笑ってんだよ」

 突然笑い出した白坂を、俺はじと目で睨み付けた。
 その表情を見てさらに笑みを深めつつ、白坂はかぶりを振る。

「ううん……乱暴だけど優しかったなって」
「……意味わかんねえ」

 照れ隠しにそう呟く俺に、白坂は小さく問いかけた。

「ねえ、それってやっぱり……同情とか、そういうのがあったから?」
「怒るぞ」

 上目遣いにこちらを見る白坂に、真剣な口調でそう答えた。
 白坂の方も、それが失言だってことには気づいていたんだろう。
 肩をすくめて素直に謝罪の言葉を口にした。

「ごめん」

 しゅんとした顔を見せる彼女に、俺は諭すみたいに言う。
 こういうのは柄じゃないけれど――だけど言わずにはいられなかった。

「あのな、この際だからはっきり言っとくけど――俺は慰めたりなんかしないぞ」
「……うん」

 白坂はかすかに頷く。
 風に流れる長い黒髪をしばらく見つめて、俺は言葉を継いだ。

「その傷さ、確かに綺麗じゃないよ。それ見て、お前から離れてくヤツだっていると思う」
「……そんなにはっきり言わないでよ」

「言うさ。お前バカだから、はっきり言わなきゃ分かんないだろ。……良いか、もう一度言うぞ? 俺はお前に同情したりしない。
 その傷も、そのくそ憎たらしい性格も、全部含めてお前なんだからな。そんなお前のことが嫌いじゃないから――その傷も含めて嫌いじゃないから。だから俺はお前と……その、アレだ。アレしたんだ」
「……………………」

 途中でどうにも照れ臭くなって、ついつい言葉を濁す俺と、顔を赤らめてそっぽを向く彼女。
 その初々しい仕草が、さっきまでの乱れようとどうしても一致しなくて、思わず俺は苦笑してしまう。

「……あは、は」

 白坂も、笑っていた。
 その表情がなんだか奇妙に嬉しそうで、俺はついついツッコミを入れる。

「だからなんでそこで笑うかなお前は」
「だって輝くん……その台詞、すごくクサいよ? 定番って感じ」
「悪かったな。どうせ俺は独創性に欠ける人間だよ」

 ふてくされてそっぽを向く俺。そんな様子を見つめながら、白坂は優しく微笑んだ。

「……うん。クサいし恥ずかしいけど……でも、なんか嬉しかった。ありがと」
「……いや、そう真面目に返されても困るんだけどな」
「だって輝くんも真面目に言ってくれたんだもん。ならアタシもそうしなきゃ失礼だよ」
「あれだけ悪口吐いといて今さら失礼とか言うか。いやまあ良いけど」

 苦笑する俺。その顔を見て同じように笑う白坂。
 しばらくそうして顔を見合わせて笑い合っった。

 のんびりとした時間が流れる。
 大して会話が弾むわけでもないけれど、それでも別に良いと思える時間。
 そのさなか、俺はふと、彼女に聞いておきたいことがあると思い出していた。

「……そういやさ。俺とお前って、一昨日が初対面だっけ?」
「え?」
「なんかデジャヴを感じるっていうか……そういやお前、最初から俺の名前知ってたし」
「あー……、まだ思い出せないんだ?」

 呆れたように溜息を吐く。
 なんだろう、やっぱり俺はなにかを忘れているんだろうか?
 首を捻る俺に向かって、白坂は模範解答を示す教師みたいに、意味もなく偉そうな口調で種を明かした。

「アタシがキミの名前を知ってるのも、キミがアタシの名前を知ってるのも当然なんだよ? ……だってアタシたち、二年前に出会ってるんだから」






 二年前の、夏。
 明かりが灯ったその家を、白川佳織はじっと見つめていた。
 時刻は午後7時40分。大抵の家なら夕食を終え、家人は風呂にでも入っている時間帯だ。

――どの明かりが、彼の部屋なんだろう?

 佳織はそんなことを考える。
 ここに来たのは偶然だった。
 この辺りに住む友達のところに遊びに来た、その帰り道。
 そういえば彼の――吉河学の家は、この近くだったな、と。
 そんなことをふと思い浮かべて、とくに探すまでもなく辺りをぶらついてみて。
 そして、たまたま――本当にたまたま、彼の家にたどり着いた。

 吉河と表札のかけられた、ごく普通の一軒家。
 たどり着いたのは良いけれど、別に目的があったわけでもない。
 このまま立ち去ってしまえばそれで済む話なのだ。
 だけど、何故かそうすることが出来なくて。
 ぼんやりと眺めているうちに、こんな時間になってしまった。

 暖かな光が漏れる玄関を、門の向こうから見つめて。
 佳織はふと、インターホンを押したくなる衝動にかられた。
 こんな時間に突然押し掛けてきた自分を見て、彼はどんな顔をするだろうか?
 喜んでくれるだろうか。それとも迷惑に思うだろうか。
 いっそのこと、このまま勢いに乗って告白してしまおうか――。
 埒もなくそんなことを想像する佳織の背中に、

「……あのー」

 訝しむような声がかけられた。
 見ている方が驚くくらい大袈裟に体を震わせて、佳織はそろそろと振り返る。
 そこに立っていたのは、自分より少し年下に見える男の子だった。
 やや気が強そうにも見える瞳で、佳織をじっと見据えながら、男の子は尋ねる。

「ウチになんか用?」
「……え? ここ、キミの家? ……ここって吉河さんのお宅だよね?」
「はあ、そうだけど」
「……吉河学くんの……家だよね?」

 おそるおそる問いかける佳織に、少年はほっとしたような顔を見せた。

「ああ、なんだ。兄貴の友達か」
「兄貴? キミ、学くんの弟?」
「そうだよ。吉河輝。よろしく」
「あ、うん。よろしく――」
「それで、兄貴になにか? 復縁でも迫りに来たとか?」

 唐突な言葉に、佳織は慌てて首を横に振った。

「ふ、復縁ってなによ! 別に吉河くんとはそんなんじゃないって!」
「あはは、冗談だってば。……それでどうするの? 兄貴呼んでこようか?」
「あ、良いの! 別に用とかじゃないから。たまたま通りかかっただけなんだ、うん」
「……はあ。そうなの? その割にはなんか思い詰めた顔してたけど」
「……え? そんな顔、してた?」
「もうばっちり。復縁ってのも半分マジで言いましたから、俺」
「そ、そうなんだ……」

 ぺたぺたと自分の顔を撫でる佳織。
 その様子に苦笑しながら、輝は優しい声で尋ねてくる。

「――あー。なんか、直接兄貴には言いにくいこと?」
「……う、うん」
「もしかして……告白、とか」
「……………………」
「うわ、もしかしてビンゴ?」

 顔を赤くして黙り込んだ佳織に向かって、輝は小さく口笛を吹いた。
 からかうようなその態度に、思わず佳織は食ってかかる。

「そ、そうだよ! 告白だよ! 悪い!?」
「いや悪くない悪くない全然悪くないから。だからそんな迫らないで」
「……あ。ご、ごめん」

 思いのほか体を近づけていたことに気づいて、佳織は慌てて身を引いた。
 赤く染まった頬を羞恥心でさらに紅潮させながら、小さく詫びる。

「――ああビックリした。あんたアレだよ、もう少し他人の目を気にするべきだ」
「ほっといてよ……ていうか、年下のクセに生意気だぞ、キミ」
「え……どういうこと?」
「どういうって……そのままの意味だけど。アタシは学くんと同い年なんだから。キミが何歳かは知らないけど、学くんよりは下だよね? 弟なんだし」

 そんな佳織の言葉に、輝は愕然とした顔を見せた。唐突に肩を落としてうなだれる。

「ウソ……絶対年下だと思ったのに……」
「なにそれ。アタシが童顔だって言いたいわけ?」
「ああいや、だから顔を近づけるなと」

 先ほどの経験に学んだのか、佳織が迫ってくるよりも先に後ずさる輝。
 頬を膨らませて怒りを表明する彼女をどうどうといなしながら聞いてくる。

「……まあそれはさておき。どうすんの? 告白するの?」
「……それは、その……」

 急に身を縮めて言葉を濁す佳織に、輝は再び苦笑。

「直接言うのが恥ずかしいっていうなら、俺が代わりに伝えとくけど」
「……でも、そんなの悪いし」
「悪くないよ別に……あんた名前は?」
「え、え?」
「だから名前」
「し、白坂。白坂佳織だけど」

「オーケー白坂さん。じゃあ後は俺に任せておきたまえ」
「任せてって……どうするつもりなの?」
「そんなの決まってるだろ。このまま兄貴の部屋に押し掛けて、その場で代理告白だ」

 そう答えて家の中に入っていこうとする輝を、佳織は慌てて引き留めた。

「ちょ……待ってよ、そんなアタシ心の準備が……」
「おいおい。ここまで来といてそれはないだろ。こういうのはノリと勢いだってば」
「……でも。うん……やっぱり、今はまだ良い」

 掴んだ腕をそっと離しながら、佳織は少しトーンを落とした声で言う。
 そう、まだ早い。まだ少し――自信がない。

「……良いの?」
「まだ……まだ早いと思うんだ。勇気が足りない気がする」

 輝の問いに、佳織は小さく頷きを返した。
 そんな彼女の様子に、少年は軽く肩をすくめて言う。

「まあ、無理にとは言わないけどな」
「うん。……ごめんね、なんだか迷惑かけちゃって」
「これくらい迷惑でもなんでもないって」
「ありがと。優しいなあ、輝くんは」

 思わず手を伸ばして輝の頭を撫でようとする。
 その上から逃れるようにして、彼はしっしと追い払うように手を振った。

「恥ずかしいからやめれって……ほら、用が済んだなら早く帰りなよ。もう夜だし」
「あ、そうだね。そろそろ帰るよ……またね、輝くん」

 バイバイと手を振りながら、佳織は彼に背を向けた。
 背中越しに面倒そうな声がかけられる。

「あいよ、またどうぞ……と、そうだ」
「え、なに?」

 なにかを思い出したような口調に、佳織は立ち止まって振り返った。
 そんな彼女に向けて、輝は微笑みかける。

「勇気が出たらさ、俺んとこに来なよ。いつでも代わりに伝えてやるから」

 優しい言葉。だけど、少し甘やかしすぎな気もする。
 確かに彼に頼ってしまえば楽だろうけれど、きっとそれじゃあダメだと思う。
 だから佳織は苦笑して、こう答えるのだった。

「あはは、ありがと。でもどうせなら……自分で告白したいな」







 昔話の最後を、笑顔で締めて。
 白坂はうかがうような目で、俺の瞳を覗き込んだ。

「どう? 思い出した?」
「あ……」
「あ?」
「あーあーあー! そうかぁ、どっかで見たことある顔だと思ったら、お前あいつか! あの時のストーカー女か!」
「だ、誰がストーカーよ!」

 白坂が抗議の悲鳴を上げる。
 そんな彼女を綺麗に無視して、俺は何度も首を縦に振る。
 奥歯に挟まっていたものが取れたときのような、実に爽快な気分。

「そっかそっかそっかあ。あーいや、完璧に忘れてた」
「……いや、だから誰がストーカーなんだってば」

 じと目でこちらを睨み付けている白坂の肩をぽんぽんと叩いてやりながら、俺は苦笑混じりに言った。

「……にしても、勇気が出るまで時間がかかったなあ」

 白坂もまた、苦く笑い返しながら頷く。

「あはは。ホントだよね。結局二年もかかっちゃった」
「……それで、結局渡すのか? フラれるためのラブレター」
「……ああ、そうだね。どうしよっか」
「おいおい。勇気はどうした勇気は?」

 歯切れの悪い言葉に、俺は発破をかけるみたいに笑いかける。
 だけど白坂の顔には、寂しそうな笑みが浮かべられただけだった。

「やっぱり今さらかなぁって思うんだ。学くんと直子、付き合ってるんだよね? もしアタシが今告白なんかしたら……あの二人、ギスギスしちゃうんじゃないかなって」
「……まあ、それはそうかも知れないけど」
「でしょ? だったらもう、このままで良いかなって……」
「そうかも知れないけど、なんか気に喰わないな」
「え?」
「それで、お前の決着はどうなるんだ? このままなんにもしないで放り出して、それでお前のなにが吹っ切れるんだ?」
「……それは」

 口ごもる白坂の腕を、がっしりと掴む。唐突な行動に、白坂は目を白黒させた。

「……ちょ、なに?」
「ここで口論しててもしょうがないからな。とりあえず――」
「と、とりあえず?」
「このまま拉致して、兄貴の前に引きずってく」
「ちょ、それはやや強引すぎるのではないかと!?」

 怯えるように後ずさりする黒髪の少女。
 だけど、これくらいでビビってるようじゃ告白なんて一生出来やしない。
 うん。こーいう場合はアレだよな。強硬手段。

「問答無用」
「いや、た、ちょっと痛い痛い痛い! 引っ張らないで引きずらないで! 歩くから自分で歩くからぁぁぁぁぁ!?」

 悲鳴を上げる彼女をすっぱりと黙殺して、そのまま階段を目指して歩き出す。

「さーあ、レッツゴー」
「いーたーいーーーーーーー!!」




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