あなたたちに似ようとしたのは、人恋しくてたまらなかったから


#傷跡 第五話

 学園から自宅へと続く道を、二人乗りの自転車で出せる最高の速度をもって走り抜ける。
 力いっぱい踏みしめたペダルはみしみしと軋みを上げ、
 限界以上の速度で回転するチェーンは、もしかしたらそろそろぶち切れるかも知れない。

 だけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
 今日でなければならない理由なんてないけれど かといっていつまでもずるずると先延ばしにするのも――なんとなく、見ていて嫌だから。
 このまま放っておいたら、また「このままで良い」とか言い出しかねないから。

 だから、躊躇う余裕を感じる前に、コイツに告白させてやろうと思う。
 余計なお世話だって言われるかもしれないけど――いや、絶対言われるだろうけど。
 それでも、うじうじしてるコイツを見ているよりは遙かにマシだから。

「うきゃああああああああああああああ!?」
「喚くな叫ぶな遠吠えるなっ! 舌噛むから黙ってろ!」

 荷台に腰掛けた体勢で俺の背中にしがみついて絶叫する白坂を怒鳴りつけながら、俺は必死で兄とその恋人の姿を探す。
 別に家に帰ってから話しても良いのだけれど、それよりはやっぱり――あの人の前で、きっちりケリをつけた方が良いはずだ。

 ……そう。いつものパターンだと、兄は直子さんと一緒に帰っているはずだ。
 彼女の家がどの辺りかは知らないが、いつか三人で帰宅したときの記憶によると、確かこの先の交差点で別々の道に別れたはず――。
 と、ちょうどその交差点が見えてきたところで、一組の男女の姿が目に入った。

「……見つけたっ!」

 歓声を上げてラストスパート。
 のほほんと微笑み合いながら会話する二人の真横で、ドリフト気味に停止する。
 タイヤが甲高い音を立て、背後で白坂が似たような悲鳴を上げた。

「うわっ」
「きゃあっ!?」
「……ういっす」

 驚く兄と直子さんに向かい、俺は片手を上げて挨拶した。
 白坂は……なんか動かないんだけど、もしかして気絶してるのか、これ?

 突然現れた暴走自転車の正体が自分の弟であることに気づいて、兄は呆れたような声を漏らした。

「なんだ輝か……お前なあ、危ないだろそんなスピード出したら」
「仕方ないだろ、急いでたんだから……あ、どうも」

 言い返しながら、兄の隣に立つ女の子に頭を下げた。
 ぽっちゃりとした丸顔に、苦笑の色を浮かべる女性。
 今の兄貴の彼女で――そして、白坂の親友でもある人。
 藤本直子さんだ。

「こんにちは、輝くん……あれ?」

 肩口で切り揃えた髪を揺らして、直子さんも会釈を返してくる。
 その視線が俺を通り過ぎ、荷台に座ってぐったりしている女の子に向けられた。

「ああ、こいつは――」

 俺が紹介する前に、直子さんが驚きに目を丸くした。

「かおり……佳織、なの?」

「え……?」

 その名前を聞いて、兄もまた驚きの声を上げた。
 その瞬間、俺の腰を掴む白坂の腕がぴくりと震えた。
 ……なんだ、気絶してたわけじゃなかったのか。
 安心しながら俺は後ろを振り返り、二人から顔を背けるようにしている白坂を促す。

「――ほら」
「……………………」

 白坂は無言でかぶりを振る。
 その様子はまるで歯医者に行くのを嫌がる子供みたいで、ちょっと微笑ましくもある。
 だけど、ワガママを言ったところで結局はなんの意味もない。
 早々に治療しなければ、虫歯はどんどん悪化するのみなのだ。
 同じように、こいつの気持ちも、また――。

「ほらってば」
「……………………でも」

 二度目の呼びかけに、小さな声で返事が来た。
 だけど相変わらず視線は明後日の方向に向けられたまま。
 そして体は自転車の後部座席に乗せられたまま、俺の後ろから離れようとしない。

「ああもう、焦れったい!」
「あだだだだだだっ!? ちょ、またそれ!?」

 どうにも歯がゆい白坂の態度に、とうとう俺は再度の強制手段に出た。
 屋上から引きずり降ろしたときと同じように、腕を掴んで強引に自転車から降ろす。
 そして、のろのろと地面に降り立った白坂の背中を軽く突き飛ばした。

「……っきゃ!? ちょっと輝く……」

 乱暴な扱いに文句を言おうとして、白坂は言葉を飲み込んだ。
 俺が彼女を押し出した先には、呆然とした顔でこちらを見つめる兄たちの姿があったから。
 何も言えずに立ちすくむ白坂の肩をぽんと叩いて、代弁するように、言う。

「兄貴、大事な話があるんだ」
「え? あ……ああ」

 唖然とした表情で佳織を見つめていた兄貴が、俺の言葉にカクカクと頷いた。
 そのアホ面に向けて、俺は例のラブレターをポケットから取り出して、突きつける。
 それがなにかを兄が察するよりも早く。

「こいつ……こいつ、兄貴のことが好きなんだってさ」

 何故かひどく言うのが辛かったけれど――それでも俺は、はっきりと事実を口にした。

「――――っ!?」

 途端に、俺以外の三人が一斉に息を呑んだ。
 そして、沈黙。

「……ホントなの、佳織?」

 やがてぽつりと、直子さんが声を漏らした。
 その瞳には確かに怯えの色がある。
 兄を奪いに来たのか、と。唇よりも雄弁に語っている。

「……………………」

 そんな彼女を見つめる白坂もまた、瞳に痛々しい色を浮かべていた。
 動揺、後悔、羨望、嫉妬――そして、親友にそんな目を向けられることに対しての、悲しみ。
 白坂は正常に動く方の腕で、強く自分の肩を抱きしめていた。
 まるでなにかを押し殺すみたいに。

 その、あまりにも辛そうな姿を見て。
 俺は自分がやったことが、どれだけ彼女を傷つけたかを知った。
 俺の余計なお節介が、白坂にあんなにもひどい顔をさせてしまった。
 その事実だけで、俺は自分を殺すことが出来そうだった。

「ホントに、学くんが――」

 俯いて何も言おうとしない白坂に、直子さんがもう一度問いかける。
 表情こそ穏やかだけれど、口調にはまぎれもない警戒の色がこめられていた。

 その声を最後まで聞きたくないと拒むように。
 白坂は、どこか乾いた口調で、だけどはっきりと言った。

「うん。ウソじゃない。アタシは……学くんが好き」

 ああ、言っちまった。
 思わずそんな言葉が脳裏をよぎった。
 そうするように仕向けたのは俺自身なのに。そう言えとけしかけたのは俺自身なのに。
 なんでだろうか。彼女が発したその言葉が、ひどく耳に痛かった。
 情が移ったんだろうか?
 それとも――いつの間にか、俺はこの女の子のことが――。

 一歩身を引いた位置で三人の様子を見守りながら、俺は小さく肩をすくめた。
 今はそういうことを考えてる時じゃない。
 白坂の――白坂の気持ちを一番に考えないと。

 そんなことを思う俺の前で、白坂はさらに言葉を継いだ。

「学くんが好き。直子のことも……好き」
「……え?」

 予想だにしなかった台詞に、直子さんが戸惑うような視線を向ける。
 丸く見開かれた瞳をぼんやりと見据えながら、俺はこっそりと溜息を吐いた。

 ……そうか。そうだよな白坂。
 この状況を。
 親友だと思っていた女の子にあんな目を向けられて、好きだと言いたかった男に、困ったような顔をされて。
 そんな痛々しい状況を、少しでも改善したいと望むなら。
 見せかけであっても、平穏な関係を望むというのなら。
 ――そう言って丸く収めるしか、方法はないよな。
 たとえそれが、自分の本心を押し殺した末の言葉だとしても。

「だから、お願いします。アタシともう一度……友達になってください」

 静かな、だけど確固とした視線で二人を見据えながら、白坂は右手を差し出した。
 またしても沈黙。だけど今度の場合はさっきの無言とは質が違う。
 あれが驚きによるものだったとすれば――今度のは、相手の顔色を窺う類のだんまりだ。

「……くそ」

 誰にも聞こえないように、俺は口の中だけで小さく罵った。
 こういうのは、嫌いだ。
 兄が漏らしたほっとしたような溜息が。
 直子さんの目に浮かんだ安堵の色が。
 なにかを噛み殺して、抑え込んで、無理矢理に諦めるみたいな――白坂の震える肩が。
 そしてなにより――彼女が言葉の上だけでも兄への想いを諦めたと知って、
 かすかに、だけど確かに安心している俺自身が。
 叫び出したくなるくらいに、腹立たしく思えた。

「佳織……」

 ほんの少しの時間が流れて。
 ……白坂が兄を奪う恐れはないと判断したのだろうか。
 差し伸べられた腕を掴み、直子さんは優しく微笑んだ。

「当たり前じゃない、そんなの。もう一度なんて言わなくったって……。私たち、ずっと友達だったじゃない!」
「直子……」

 なんだろう。なんでこんなにムカついてるんだろう。
 目の前で繰り広げられる友情劇が、どうして俺にはこんなにも不快に思えるんだろう。
 兄貴は良いヤツだ。それは弟の俺が保証する。
 直子さんも良い人だ。付き合いは浅いけど、少なくとも悪い人でないことは分かる。
 白坂だって……若干言動は小憎らしいけれど、性質的には善人だ。

 ここにいるのはみんなイイヤツ。
 なのにどうして、こんな打算たっぷりの茶番が演じられてるんだ?

「ね、学くん。そうだよね? 友達だもんね?」
「……うん、そうだ。そうだよ。俺たちは……」

 やめろ、言うな。お願いだから言わないでくれ。
 白坂の「好き」はそういう意味じゃないんだ。
 分かってるんだろ? お前ら分かっててやってるんだろ?

「俺たちは、友達だ」

 ――ああ。終わった。色々なものが終わってしまった。
 白坂の恋心。兄貴の未練。直子さんの怯え。そして俺の……俺の、なんだろう。
 よくは分からないし、正直分かりたいとも思わなかった。




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